【金融工学偉人】マイロン・ショールズ

金融工学偉人

金融工学における3大成果の1つであるブラックショールズモデルを考案した一人である。現在でも使用されておりその有用性は健在である。ショールズは1997年にノーベル経済学賞を受賞したが、設立したヘッジファンドLTCM、プラチナム・グローブの破綻は金融工学に対するイメージに大きな影響を与えた。

ショールズの人生

マイロン・ショールズは1941年カナダのオンタリオ州ティミンズで生まれた。マックマスター大学で法律を専攻した後、1964年(23歳の時)にシカゴ大学で修士号、27歳の時に博士号を取得した。

シカゴ大学ではユージン・ファーマやマートン・ミラーに学び効率的市場仮説の影響を受けた。

その後、MITスローンスクールで研究を行い、そこでフィッシャー・ブラックや、ロバート・マートンと出会い、ブラックショールズモデルを考案する。

MITではポール・サミュエルソンの助手をしていたロバート・マートンと研究室が隣同士となり、ブラック、ショールズ、マートンの3人で協力して研究活動を行った。

その後、シカゴ大学で10年間、スタンフォード大学で13年間研究活動を行った。

スタンフォード大学ではウィリアム・シャープやマーク・ウォルフソンと同僚となり、ウォルフソンと共同で『税金と経営戦略』という本を出版した。

1993年にヘッジファンドのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の設立メンバーとなった。

1997年、「ブラック-ショールズ方程式の開発と理論的証明」を理由にマートンと共にノーベル賞経済学賞を受賞した。

順調な人生だったが、1998年に大きな損失を出し、LTCMは破綻してしまった。

ノーベル賞経済学賞受賞者が設立した金融機関が破綻したことは業界に大きな衝撃を与え、ノーベル経済学賞自体の廃止の声もあがった。

LTCMの元同僚と4人で1999年プラチナム・グローブというヘッジファンドを立ち上げるが、2008年に破綻してしまった。

現在はジャナス・ヘンダーソンで働いている。

ブラック・ショールズモデルの誕生

ブラックは職場の先輩であるジャック・トレイナーからCAPMを学び、オプション評価もポートフォリオを使って行うことができないか模索し、原資産の期待収益率を使用することなくオプションを評価できるのではないかというアイディアに至った。

一方、ショールズはエドワード・ソープの『市場をやっつけろ』を読み、ヘッジポートフォリオを考え、オプション価格をテイラー展開することで微分方程式を解く方法を考えた。

その後、マートンから伊藤清の理論について教えてもらい、最終的にはヘッジ比率と確率微分を使ってオプション価格を導く方法で論文を発表した。

まとめると

名前役割
フィッシャー・ブラックカギとなる微分方程式を導いた
マイロン・ショールズヘッジ比率とテイラー展開を用いる方法を思いついた
ロバート・マートン伊藤の確率微分を用いる方法を教えた
伊藤 清伊藤の補題を導いた
エドワード・ソープ偏微分をヘッジ比率として使用した

伊藤清との逸話

ショールズは伊藤に会った際にわざわざ握手を求め、伊藤の定理に敬意を表した。伊藤自身は経済学に無関心で、ある経済学者の集まりに出席した際にあまりの歓迎ぶりに当惑し、そもそもそんな定理を導いた記憶はないと言い張ったという

Inventing Money: Nicholas Dunbar, Wiley; December 13, 2000 日本語版「LTCM伝説」 東洋経済新報社

参考文献

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